历史背景

五代友厚

大阪の恩人・五代友厚 没後130年で再び脚光、NHK朝ドラ「あさが来た」に登場、映画化も 2015/8/29 11:00 産経WEST https://www.sankei.com/article/20150829-OOJXXCKBWJMSXE7F5XFYQZRPIE/3/
以前に「けいざい徒然草」で紹介した渋沢栄一と同様、明治維新政府を辞して実業界で手腕を発揮し「東の渋沢、西の五代」と称されるのが五代友厚(1835~85年)だ。大阪商工会議所の初代会頭を務めるなど大阪経済の発展に貢献した人物。没後130年の今年はタイミングよく、秋から放映のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「あさが来た」にも主人公に深く関わる立場で登場するため、五代の数々の功績を再認識しようとの機運が高まっている。(栗川喜典)
維新の立役者らと交友  日本を代表する関西の企業家105人を常設展示している大阪企業家ミュージアム(大阪市中央区)。真っ先に「明治維新期の大阪経済再生と近代化をリード」と紹介されているのが五代友厚だ。入館者がひととおり見学後、隣接のスペースではさらに五代を印象づける特別展示がある。
 五代の没後130年企画として12月18日まで開催中の「大阪の恩人・五代友厚」。浮世絵師の四世長谷川貞信による約20枚の絵画(複製)で五代の生涯を分かりやすく紹介するとともに、約30点の五代ゆかりの品を展示している。
 江戸期に薩摩藩(今の鹿児島県)の上級武士の家に生まれた五代は幼少から英才として知られ、幼名「才助」は藩主から贈られたとされる。安政4年、藩から選抜されて20代で長崎海軍伝習所に遊学以来、通算約11年を長崎で過ごし、この地で勝海舟や榎本武揚、坂本龍馬、木戸孝允(桂小五郎)、高杉晋作や、貿易商のトーマス・グラバーらとも親交を重ねたことが、後に大きな人脈となった。
 特別展示では木戸や大隈重信、渋沢栄一らの書翰も紹介され、入館者が「これだけ幅広い交友があったのか」と見入っている。
五代はこの長崎時代、2度にわたって中国・上海に渡航して汽船や武器などを購入し、早くから開明的な環境で過ごした。慶応元年には薩摩藩留学生の引率者として渡英して欧州諸国を訪れ、新しい産業こそが新しい時代を作るとの確信を得たとされる。
大阪の開花に貢献  明治維新政府も五代の広い見聞を認め、外国事務局判事に起用。大阪・堺で起こったフランス水兵と土佐藩士との衝突事件などの処理に手腕を発揮したことから、五代は大阪港の開港、貿易事務も管轄し、大阪との深い関わりが生まれた。
 大阪造幣寮(造幣局)の建設に奔走した五代は旧知のグラバーに依頼し、香港から英国造幣局の中古機械を購入。新政府の肝いりで大阪に通商会社、為替会社を設立した際には、協力に消極的だった大阪の有力両替商らを説得して大阪経済界での信望を高めた。
 その後、会計官権判事として横浜へ転勤を命じられるが、大阪では五代留任を求める声が起こり、五代も愛着のある大阪に戻るため、明治2年に官を辞した。展示史料では、五代に対する神奈川在勤辞令や五代が辞職を願い出る書状などを見ることができる。
 実業界に転じた五代は金銀分析所、鉱山、活版印刷所などの事業を興したほか、関西商人らと阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)、大阪商船(現・商船三井)を起業。明治11年開業の大阪株式取引所(現・大阪取引所)の創設にも関わった。
 さらに信用取引や手形取引の商慣習が乱れていた状況を見かね、仲間組合として同年に大阪商法会議所を設立。初代会頭に選ばれた五代は大阪の商秩序を正常化し、今の大阪商工会議所の礎を築いた。教育面でも大阪の商家の子弟を新しい経済環境に適応させようと大阪商業講習所を作り、今の大阪市立大につながる。
こうした功績をたたえ、大阪市内には中央区の大商や大阪取引所、光世証券に加え、同市立大と同じ大阪商業講習所の流れをくむ天王寺区の同市立大阪ビジネスフロンティア高校に五代の像が設置されている。「一つの市内に4体の像が建つとは、まさに大阪の恩人である五代への感謝の表れだ」と企業家ミュージアムの廣田雅美事務局長。
多彩なエピソード  大阪企業家ミュージアム館長の宮本又郎・大阪大名誉教授がまとめたデジタルアーカイブなどによると、五代にはほかにも多彩なエピソードがある。
 江戸期の文久3年、薩英戦争で英艦の捕虜となった際は、薩摩の戦力を尋ねられ「薩摩藩は陸戦が最も得意で、貴国の兵が上陸しても苦戦必至だ」と巧みな弁舌で返答、英国軍の上陸作戦を忌避させたとされる。しかし、釈放後は英国側に通じていたのではないかと疑われ、藩外での亡命生活も余儀なくされた。
 また、実業界に転じた後は維新政府の大久保利通の「知恵袋」となった。明治8年、台湾出兵に反対して下野した木戸孝允や、征韓論で敗れて政府を去った板垣退助らを維新政府に呼び戻そうと大阪で開かれた「大阪会議」では、大久保に自宅を宿として提供したり、関係者の連絡役を務めたりして、木戸と板垣の復帰に貢献した。
 明治18年、49歳の五代は東京・築地の別邸で病死。100万円の借財を残し、財閥を築くような成功は遂げられなかったが、遺言に基づき大阪で行われた葬儀には4300人以上が会葬し、大阪市阿倍野区の霊園に埋葬された。
 こうした五代の人物像は史料や肖像写真などから想起するしかないが、折しも9月28日から放送のNHK朝ドラ「あさが来た」で、実業家の広岡浅子をモデルとした主人公「今井あさ」を叱咤(しった)激励する人物として、五代が実名で登場する。演じるのはDEAN FUJIOKA(ディーン・フジオカ)さん。関西テレビ系で放映中のドラマ「探偵の探偵」では北川景子さん演じる主人公の同僚役で出演しているイケメン俳優だ。
NHKが設けた「あさが来た」のホームページによると、幼少時のあさが文久2年に大阪・中之島で武士時代の五代と出会う場面が第1週に放送されるらしい。どんな五代を見せてくれるのか期待が高まる。
映画の制作も  これとは別に、五代を主人公にした映画を制作するプロジェクトも進行中だ。旧制高校の対抗野球を軸に人々の交流を描いた平成19年公開の映画「北辰(ほくしん)斜(ななめ)にさすところ」を制作したことがある大阪弁護士会所属の弁護士、廣田稔さんが発起人となり、明治維新(改元)から150周年となる平成30年の公開を目指す。
 鹿児島大法学部卒の廣田さんは作家の黒川十蔵さんが書いた小説「幕末を呑み込んだ男 小説・五代友厚」を読み、鹿児島出身の五代の功績を知った。多くの人間を巻き込んで目的を成し遂げたその求心力にひかれたという。
 現在は公募脚本の入選作を基に決定稿を年内完成に向けて練り上げている段階で、海外ロケも念頭に薩英戦争などの迫力ある場面を盛り込む考えだ。脚本ができあがれば20億円を目標に制作費の出資者を本格的に募る予定といい、廣田さんは「今、五代が生きていたら、世界をどう感じるのか。没後130年を経て改めて問い直したい」と意気込む。

あさが来た|開拓使官有物払下げ事件!五代友厚は本当に潔白なのか?

朝ドラ『あさが来た』では、ここまで大阪経済の復興に尽力してきた
五代友厚が開拓使官有物払下げ事件に巻き込まれ窮地に立たされます。
以前の記事でも書きましたが、この事件は北海道の開拓使長官だった黒田清隆が、同じ薩摩藩出身の五代におよそ1400万円もかけて作った北海道の開拓使官有物をわずか39万円で払い下げた事件。
しかもその代金の39万円も無利息、30年分割という破格の条件でした。
この払下げ事件はマスコミも大いに取り上げ、五代や黒田を非難。世間も大バッシングとなります。
そのため五代への官有物の払下げも中止となり、黒田も更迭されてしまいます。
ドラマでもここまで五代を信頼してきた大阪の商人たちが大激怒し、五代も商法会議所の会頭を辞職すると言い出します。
結局、あさや新次郎が五代を擁護し、新次郎は五代が損を覚悟で官有物の払下げを受けたことを代弁し、商人たちを説得します。
ドラマでは五代に私心や私腹を肥やす意図がないことがわかり、元サヤに収まるようですが、実際はどうだったのでしょうか?
開拓使官有物払下げ事件を巡っては五代友厚は潔白だったのでしょうか?
開拓使官有物払下げ事件!五代友厚は本当に潔白なのか?
確かに官有物の払い下げを受けた五代が経営する関西貿易社は貿易会社という名目ですが、実際は官有物の払下げを受けるための会社です。
しかも五代と黒田は同じ薩摩藩出身で親しい仲。
事件が明るみになった明治14年(1881年)には、大隈重信や佐野常民といった政府要人も大反対しましたし、かの福沢諭吉も黒田や五代を批判しました。
しかしよくよく考えてみれば、五代は明治政府の高官たちと密接な人脈があった人物。特に親しかった大久保利通は、紀尾井坂の変で明治政府の最高実力者でした。
にも関わらず、ここまで五代は政府高官とのコネを利用して儲けたなどの記録は皆無です。
またドラマのように五代が払下げを受ける予定だった開拓使の官有物が、それほど収益性の高いものではなかったとの指摘をする研究者もいます。
周知のとおり五代は財閥を作ることができるほどの実力者であったにも関わらずそれをせず、しかも彼の死後には100万円(現在の貨幣価値では約5000万円)もの借金があることが判明します。
政府高官とのコネを利用して莫大な利益をあげた三菱の岩崎弥太郎などと比較すれば、五代は明らかにそのスタンスを異にしています。
ところがこの開拓使官有物払下げ事件だけが、五代らしくない動きをしていますね~
個人的な意見ですが、やはり事実もドラマと大筋で一致するような気がします。
もちろん当時の政府内の藩閥争いや財閥の利権争いも背景にあることから、五代が恩のある黒田へ協力した面も否定できません。
ですが儲けようと思えばとっくに大儲けすることができた五代ですから、「大人の事情」こそあったものの、今さら北海道の官有物で利益を追求しようとしたとは考えにくいですね。
自らの利益を追求するのではなく、常に国益や大阪の利益を考えた五代のことですから、北海道の開発に一役買いたかったのかもしれません。
実際に五代が務めていた大阪商法会議所(現大阪商工会議所)の会頭も、事件が明らかになった明治14年には辞職していません。
※五代は同会議所の会頭を明治18年9月に没するまで務めています。
とすれば当時の大阪の政財界からの五代への非難はそれほど激しいものではなく、それは五代が私腹を肥やそうとしたわけではなかったことをみな知っていたからではないのでしょうか?
開拓使官有物払下げ事件については、五代自身が残した記録などもないことからその真意は謎ですが、ドラマの筋書きもまんざらではないと思われます。

「東の渋沢 西の五代」

ep99
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、旧字体:澁澤 榮一、1840年3月16日〈天保11年2月13日〉- 1931年〈昭和6年〉11月11日)